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井上陽水

井上陽水は1948年8月30日生まれ、福岡県嘉穂郡幸袋町(現在は飯塚市)出身。歯科医の長男として生まれたが、3度歯科大受験に失敗したことで、元来夢中になっていた音楽の道へと進み上京。1969年には「アンドレ・カンドレ」名義でメジャーデビューするもヒットせず、苦しい時代が続いた。ちなみにアンドレ・カンドレとして編曲に携わった小室室やギタリストの安田裕美、忌野清志郎達とはこの頃からの知り合い。

1971年にはレコード会社を移籍し、井上陽水として再デビューし、改めて音楽活動を開始。1973年3月にリリースした3rdシングル「夢の中へ」がヒットし、1973年12月にリリースしたアルバム「氷の世界」は1年以上もの間売れ続けて、日本で初めてのミリオンセラーアルバムとなり、井上陽水は「フォークの帝王」と呼ばれるようになる。

だが1977年9月10日に大麻所持容疑で逮捕され、およそ60人あまりの芸能人達が逮捕されたスキャンダルとなり、井上陽水の人気は急激に失速。
その後セールスは振るわなくなったものの、「リバーサイドホテル」「とまどうペリカン」「なぜか上海」「ジェラシー」といった、井上陽水の代表曲ともいえる数々の楽曲を発表し続けた。

井上陽水のバックバンドを務めていた安全地帯が1982年にデビューし、井上陽水は安全地帯に「ワインレッドの心」を提供し大ヒット。また中森明菜に提供した楽曲「飾りじゃないのよ涙は」も大ヒットし、井上陽水自身が発表した「いっそセレナーデ」もほぼ同時期に大ヒット。井上陽水は再びシーンの頂点に舞い戻った。

また、1996年にデビューしたPUFFYのデビュー曲「アジアの純真」では井上陽水が作詞、作曲は奥田民生でブレイク。奥田民生との縁は、井上陽水の子供がユニコーンのファンであったことが縁で付き合いが始まっており、1997年2月13日には「井上陽水奥田民生」名義で「ありがとう」をリリース。2007年にも井上陽水は奥田民生とツアーをしており親交が深い。


井上陽水「夢の中へ」

井上陽水「とまどうペリカン」

井上陽水「少年時代」

井上陽水「空耳アワー1」

井上陽水「空耳アワー2」



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