尾崎豊(1965年11月29日 - 1992年4月25日 )は1982年10月のCBSソニーオーディションに合格し、1983年にデビュー。
尾崎豊は、在校していた青山学院高等部から無期減停学処分を受けた時期に、作った曲でオーディションに合格したのがデビューのきっかけ。オーディションでは「ダンスホール」などを歌い、デビューシングルは「15の夜」。デビューアルバムは「十七歳の地図」だった。
デビュー当初のセールスは決して良くはなかったが、1985年1月21日にリリースした4枚目のシングル「卒業」が大ヒットしてブレイクした。南野陽子、斉藤由貴、小泉今日子といったアイドル全盛期の人気音楽番組「ザ・ベストテン」などには一切出場せず、メディアへの露出が極端に少なかったにも関わらず圧倒的人気のあったアーティストは、当時、尾崎豊と浜田省吾くらいだった。
尾崎豊は1992年4月25日早朝、東京都足立区千住河原町の民家の庭に全裸で倒れており、不審に思ったそこの家主が通報したことで発見された。死因は、致死量の2.64倍以上の覚醒剤服用による急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫。遺体には暴行を受けたような跡があり、不自然であることから他殺された可能性もあるが、警察は事件性なしと発表した。そのため、10万人を超える「再捜査嘆願書」の署名が集まったが、警察には受理されなかった。
社会人に成り立ての頃はもうあまり聴くこともないだろうと思っていたが、疲れきると口ずさんでいたり、正確に口ずさめなくてCDを引っ張り出したりして以外とよく聞いている。そんなことあまりおおっぴらに言うことでもないから一人ゴチていたが、数人の友達も以外と同じように引っ張り出して聴いていたりしていることが、酔って泊めてもらったりした時に判明。尾崎は心のとても近いところで、静かにひっそり確実にまだ流れている。
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