ザ・ブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)は1985年2月に結成。マネージャーをしていた河口純之助が元メンバーのベーシスト望月正水に代わって参加。1986年に元メンバーのドラムス英竜介に代わり、梶原徹也が参加。
ザ・ブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)のインディーズ時代は主に渋谷の「屋根裏」を中心にライブを行い、1987年2月に自主制作シングル「人にやさしく/ハンマー」をリリース。インディーズからリリースしたシングル「人にやさしく/ハンマー」が口コミで広まり、1987年5月1日シングル「リンダ リンダ/僕はここに立っているよ」でメジャーデビュー。
ユニコーン、リンドバーグ、ジュン・スカイ・ウォーカーズ達とともに1980年代後半から始まったバンドブームの最前線で活躍。ザ・ブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)の初期は、文学的だったり、ストレートな内容でメッセージ性の高い楽曲をがむしゃらな演奏で伝えることで、若者の共感を得て、圧倒的な人気を誇り社会現象のようにもなった。社会の矛盾や社会への不満を激しく身を震わせるように訴えるその姿は、1970年代のUKシーンでプログレッシブロックへのアンチテーゼのような形でデビューし一世を風靡したセックス・ピストルズを思わせた。
ザ・ブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)は一大ムーブメントであったバンドブームの先頭を走っていたために、路線を変更したり、ドラマやCMとのタイアップをしたりするだけで「パンクじゃねぇ」などといった、過度な批判すら受けるようになったりもした。
スタークラブやラフィン・ノーズといったこてこてのパンクバンドよりキャッチで、リンドバーグやジュンスカイウォーカーズよりは泥臭い微妙な位置でザ・ブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)は邦楽ロックシーンだけでなく、当時の若者文化をも牽引していた。
シーンの中における微妙な位置や、カリスマ的人気を誇る点や、シーンの先頭を走っている感じは、Dragon Ashが似ている。
1980年代後半にはまだ多少残っていた男尊女卑の文化や、揺るぎない体育会系的な年功序列制度、理由なき大人の規則、物質主義みたいなものをザ・ブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)やユニコーン、レピッシュ、Theピーズといった様々なバンドが歌い支持された。
ザ・ブルーハーツ(THE BLUE HEARTS)のメンバーは、ボーカル&ブルースハープ&ギターの甲本ヒロト(こうもと ひろと)、ギター&ボーカル&コーラスのマーシーこと真島昌利 (ましま まさとし)、ベース&コーラスの河口純之助 (かわぐち じゅんのすけ)、ドラムスのカジ君こと梶原徹也 (かじわら てつや)の4人。
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